太平洋での戦闘と日本への影響
太平洋側のロシア極東にも戦争は波及した。フランス海軍とイギリス海軍の連合は1854年8月末、カムチャツカ半島のロシアの港湾・要塞であるペトロパブロフスク・カムチャツキー攻略を目論んだ。英仏連合軍は盛んに砲撃を行い、同年9月に上陸したが、陸戦で大きな犠牲を出して撤退した。英仏連合は兵力を増援したが、ロシアの守備隊は1855年の初頭に雪の中を脱出した。
この戦いではエフィム・プチャーチン総督がペトロパブロフスクの防衛にあたっていた。プチャーチンは日露和親条約を結ぶため、アフリカ航路で日本へ向かっていた。途中、イギリスのプリマス港に停留したが、その時に英仏がロシアに宣戦布告していることを知り、すぐさま出航、セントヘレナ島・ケープタウン・セイロンなどで停留後、中立国であるスペイン領フィリピンのマニラ港に到着した。そこで折悪くフランス海軍と遭遇したため、急いで長崎港に行き、日露和親条約を締結している。
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クリミア戦争は、直接的ではないが日本にも大きな影響を及ぼした。アメリカだけがこの時期ペリー提督を派遣して日本に対して砲艦外交を展開できたのは、この戦争によって欧州列強の関心が日本を含めた東アジア地域にまで及ばなかったからである。なおこの戦争でフランスでは、政府の命令を受けてパリの天文台台長のルヴェリエという学者が暴風雨の研究を行い、これが今日の天気予報という学問のジャンルの起源になった。